光州5・18

見たかった作品で先日観ることができました。
韓国のタイトルは「華麗なる休暇」
これはこのデモ鎮圧に向かう軍の作戦コード名が「華麗なる休暇作戦」と言われていたらしい。(どうしてこんな名前になったのかはわかりませんが…)


「50年後に会おう…」そう言ってミヌはシネと別れた…


とてもとても遠い昔の話のようなのに本当はまだ28年前の話。
私が初めて韓国(ソウル)に行くたった6年前の出来事…


ついつい1980年の頃の自分とシンクロして見てしまう。
銃撃に倒れたイジュンギが演じるシヌは私と数歳しか違わないし、衣装にしても日本でもああいうジーンズとかああいうファッションをしていたなぁとか。


初めて韓国に行ったころ、今みたいに街も人も開放的ではなくまだまだ全体的に緊張していた。それは私が外国人だったからかもしれないが日本とは違うことが沢山あった。


そんな事を思いつつ韓国内でも正しく報道されなかったこの事件。
シルミド事件にしてもこの光州事件にしても「どうして?」と思う。どうしてこんなことが起こるんだろう?


でも、こうして映画として私たちもこのような事が少し前にあったという事を知ることも大切だと私は思うし、だからと言って当時犠牲になった人たちや残された市民の傷が癒えるわけではないだろう。


忘れてはならないこと…
かの国は…
まだ本当の意味での平和な国ではないということ。
いつ何が起こるのかわからない国であること。
単に楽しいだけではない国だという事を忘れてはいけないということ。


「50年後に会おう」…シネは今どうしてるだろう(映画のなかの人物だとしても同じような人たちがきっといたはず)まだあと22年…。


残念だったのは映画の中でどうして軍があのように市民を巻き込んで銃撃戦をしなければならなかったのかということが見ていて解り難かったこと。元々民主化運動をした大学生などを鎮静させるために軍が入ったらしいがそういう部分がイマイチぼやけた感じで突然市民を巻き込んだようなイメージになってしまっていたような気がする。


だから映画では軍が悪で市民は犠牲者(被害者)というイメージになってしまっているが多分それぞれの側ではそれぞれの理由と正義があるのではないかと思う。


誰が悪くいというふうには一概に言えないのかもしれない。
あえて悪いというならば周囲の無関係の多くの人達が巻き込まれたこと。
そしてそれを暴力を利用したこと。
そして正しい情報を伝えられなかったこと。

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