イントゥ・ザ・ワイルド
クリスはそれまでの何もかもを捨てて自分探しの旅に出た。
何故目的地がアラスカだったのだろう?
自分を極限まで追い詰める場所がアラスカだと思ったのだろうか?
人間というものは1人で生きていく努力をしなければならないもの、しかし人間は1人では決して生きていくことはできないもの…
本当の孤独を知らない青年だったクリス。本当の孤独を知ったとき、すでにもう遅すぎた…
映画を見ている最中、私の頭の中で「本当におまぬ〜なやっちゃ、お馬鹿やなぁ…なんでそんなこと気がつかんねん」という文字がグルグル回りまわっておりました。
だからと言って作品が悪いということではありません。
映像も奇麗だし、クリスと出会った人たちのエピソード、そして自分の生きる意味、存在の理由などを厳しい状況の中最後の最後にたどり着いた答え…
「僕みたいに愚かな事をしないように…」
エミールハーシュの演技もとても良かったです。
餓死するクリスを演じるために極限までのダイエットをしたその姿はクリスそのものだったかもしれません。
現実世界の物質に対して拒否をしてお金とか燃やしたりしている割にはヒッチハイクをしたり、無賃乗車(貨物列車)をしたり、許可もなくカヌー(カヤック?)で川を下ったり、猟銃で動物を殺したりとやはり文明を借りないと生きていけないという事をどうしてもっと早く自覚できなかったのだろう?(その辺が彼の甘さだったのかもしれませんが)
如何にも都会の人間が自然にあこがれるようなそんな感覚?
なによりも、クリスが死んで遺体が見つかるまで2週間くらいだったようですが、ということは…その周辺に集落(といっても遠いのかもしれないけれど)があったということだろうし、クリスが渡れなかった川以外にも文明社会に戻れるルートがあったのではないかとおもうのです。でもどうしてそれをクリスは考えなかったのだろうか?彼の中にそういう選択肢はなかったのだろうか?もしあそこで絶望しなければ他に生き残る方法があったのではないかと思わないでもないのだが…。
だからと言って勘違いしないでほしいのは、クリスはこの世を絶望していたわでもないし、死にたいと思っていたわけではありません。
人間が生きるという事を今までの自分の知らなかった価値観を極限の中で生活していく上で知ることができた、本当の自由と孤独というものが何なのかの答えを自分なりに出すことができたからこそ、新しい未来に向かって一歩を踏み出そう(でも本当は怖かったのでしょうね)と思った、自分を愛してくれた人たちに会うため、心配している家族に会うため、新しい自分の未来のために…ただ結果的に悲劇的な最期になってしまっただけで…
きっと、沢山後悔しただろうし、いろんなことを考えただろうね。
自分の愚かさや、出会った人たちのいろんな言葉、今まで自分の理想だけしか受け入れようとしなかった自分にも後悔しただろう…。でもどんなに悔やんでももうどうすることもできなかった(もう、あの時点でそれすらも放棄してしまったのかもしれない?)
確実に自分が死んで行く様子をどう感じていたのだろう。
最後に何が見えたのだろう?何を考えていたのだろう?
ALONE…その言葉に気がつくのが遅すぎなんだよ…
幸福が実現となるのは それが誰かと分かち合った時だ
僕の一生は幸せだった みんなに神のご加護を!
クリストファー・マッカンドレス
なんだかクリスの事をもっと知りたくなったから原作を読もうかなと、映画よりもっとクリスの事がわかるかもしれない…。
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