お陰さまで20回です

えーでー北河内も2001年から初めて今回で無事20回目を迎えることが出来ました\(~o~)/
いやぁ〜、嬉しいですね。こんなに続いているなんて、そして毎回参加してくれている方々に本当に感謝です。
他の自助グループのことはわかりませんが、えーでー北河内はまず、わたしとしおるちゃんがまず、大きな枠組みの中で自分たちのペースを大切にしていきたいと言うスタンスでやっていますので、参加される方々は色々戸惑う事などもあるかもしれませんがまぁ、そんなところです(笑)
今回は、他のグループと重なっていたせいか?久し振りにかなり少人数参加になりましたが、その分、いつもとはまた違う感じだったのではないでしょうか?

前々回初参加された方が今回も参加されて、前回、その人の会話を聞いてとても気になる部分がありましたので今日は思い切ってその事について尋ねてみました。本人の悩みはやはり定職に就けないと言うことでしたし、問題と言うのは会話の方法と言うのか、話し方そのものです。
弁論口調で話しをするみたいで、確かにASの人間の中にはやたら言葉が丁寧(それも会話の意味としてというよりもその言葉自体に重点を置く)だったりする事があるのですが、どうもその人の場合はそういう感じでもないみたいで思わず「そういう話し方は幼少期の頃からなんですか?」や「家族と会話をする時にもそんな言い方なんですか?」と尋ねたらどうもそうではないみたいで、ここ数年のうちにこう言う話し方になったと言うことです(周囲の話によると)それで、今の問題(就職をしたい、人との人間関係を築きたい)を何とかしたいと言う本人の気持ちはあるみたいなのである意味、嫌な言い方だったかもしれないけれど、その言葉遣いでは話の本質が見え難いし、何が言いたいのか分からない、聞いている相手にいい印象を与える事は出来ないなどを言いました。
本人にとって人と話す場合は丁寧に話した方が馬鹿にされない、失礼にならないと思っている事自体は悪いことでもないし、本当に綺麗な日本語を適切な言葉で言っていれば問題は無いんだとおもうのですが、残念ながらその人の場合は違うようです。(こう言う人は結構多いですよね)
その人も色々辛いことがあったりしてその事柄にとても執着をしているようでした。しかし、それから凄かったのは、彼は彼なりに私たちの言った事を素直に受止めてくれて、少しの時間でしたがそれ以降自分の事を「わたくし」から「わたし」と言い換えたり、「おたく」と言っていたしおるちゃんのこともちゃんと「しおるさん」と言う風に意識的に使おうと努力してくれて、こう言う姿こそ、彼の素直な良い部分だと思ったし、あとはフラッシュバックについてもちゃんとしたカウンセラーについて、個人でもいいし家族でカウンセリングを受けるのもいいし、嫌な部分に蓋するのではなくて、辛い部分をさらけ出さない限りは前には進めないし受容も出来ないと言う事は皆で話しをして、帰られました。(また来てくれると嬉しいんだけどね)

夕方からは20回記念のお祝い(と言っても皆割勘だけどね)で食事会をするので会場を移動。
そこでも、色々話しをしたんだけど、とにかく自分で思い込んでしまって身動きが取れない人が本当に多い事。前回もその前も確か同じ話しをしたはずなのに?また今日もなんで?と思うこともあります。
自分の中の固定観念(親や親戚に対するしがらみ)「世間の人にこう言われる」と言う事を言うけれど、それがどんなに狭い世界での話なのかと言う事を自覚できない人は多いみたいです。
例えば、何かをした時に「私の親はそんな気遣いはしてくれない!」と言います。でも考えてください。あなたはもう既に成人していて本来ならば自活していてもおかしくない状況なのに、就職が出来なくて、両親の世話になっていると言う現実がある。家にお金を入れているわけでもないし、だけど親に文句いわれるのは嫌だ、だけど自活するだけの資金がない。
選択肢は2つ。1つは自分の置かれている立場を考えた場合、自分が生活力がないから親の家にあなたは居候しているという自覚を持たなければならない。だから親が何をしようと何を言おうと本来は文句を言う資格は無いのです。食事を食べさせてもらい、洗濯してもらい、掃除をしてくれるだけでも感謝しなければならないと思うんです。だから何を言われても文句を言う資格は無いのですと言う事を思って一緒に生活して耐えていく。
もう1つは、本当に嫌ならば、とにかくお金が無くても自活をして精神の自由を得ること。生活保護などもあるのでとりあえずそういうものを利用して親元から距離を持ってみること。そして自分が鬱だと言うならばその原因がなんなのかをちゃんと病院で調べて貰ってしかるべき治療を受けるなどする事。周囲が結婚をしなさいとか言われると言っても現実問題、生活力も無いのに結婚なんて出来る訳無いでしょう?世間はとても無責任*1で、そしてあなたの見ている世間と言うものがどれだけ狭いのかと言う事もこれからもっと自覚していかなければならない事など。
そして、経験がないのであればそういう機会を自ら進んで作るしかないことなど。人間関係が難しいのであればもっと色んな人と接すればいいし、それがダメでもテレビのドラマを観るとかコメディを見るとかでもいいし、映画を観るのもいいし、音楽を聞くのもいいし、絵画やその他とにかくまずは行動してみることです。そのうえで自分に受け容れられる物や受け容れられない物、ドラマなどで会話力や主人公などの感情、そのドラマが一体視聴者に何を訴えたいのかという事を読み取る訓練にはとてもいいと私は思います。好きとか嫌いとかではなく、あくまでも勉強や訓練の為です。普通の人間はその時の気分で同じ種チューエーションでも違う答えが返って来る事がある。結局それが私の混乱のもとなるんだけど、映画や音楽やテレビドラマなどにはそういう事は少ないですからね。私はとてもこれらに教えられましたし、今もそうです。

違う人と話しをしている中で、私や空音が二次障害のない自閉症だと言うと「二次障害の無い自閉症の人なんか居るんですか?」と吃驚されてしまいましたが、世間ってそんなものなんです。私からすると、自分が自閉症と診断されたのに二次障害が増える人、元々二次障害のある人ってどうして二次障害があるの?私にはどうしてそういうものが出ないのかがわからないのでとてもその事に興味があるんですけど…(対人恐怖とかありますがそれは自閉症の特徴の一部で二次障害と言うものでもないので…)それに常日頃私は「二次障害がない」と言う話しは色んな人に話しているので吃驚されても…と反対に吃驚しました(笑)

話がそれちゃいましたが…
私に何が出来るのかはわかりません、でもまず大事な事はあなた自身が生きていく為に何を望んでいるのか?そして自分の問題を本当にどうしたいのか?誰かを信じる事、でも誰を信じるのかと言う事を見極めなければならない事、私の好きなチョンジフン(=ピ、あえて本名で書きましたが)彼がこんな事を常日頃言っています(韓流だからという偏見で読まないで下さいね)

本当に自分が望むひとつを、成し遂げようとするなら、他の何かを放棄しなければならないと思います。全てを持つことは出来ないでしょう?

上記の話しで自活力は無い、だけど親のしている事に対して自分をもっと理解して欲しいと要求だけはあると言う話の中で話しをしました(話した本人は覚えているかどうか解りませんが)すべてを手に入れる事は普通の人でも難しい事です。自分の立場をまずちゃんと見て、大事な事は相手に対して感謝の気持ちを持つ事。自分の気持ちを素直に出すこと。大変だと思いますが謙遜する事なんか無いんです。自分もそうだと思ったら素直に「有り難うございます。これからももっと頑張ります」と言えるようになる事が素晴らしい事だとも思うんです。
でも、それを驕りにしてはいけないのです。それからこんな事も話しました。

ステージの上では、自分が最高だと思います。しかし、ステージを降りれば限りなく低い者だと思います。

知能が高いと多にしてプライドと言うものが出てきます。大事な事はそのプライドが本当にあなたにとって必要な物なのか?と言うこと。
何にプライドを持つのかという事を考えて、自分の言動と行動を良く考えてみることも大事だと思います。
仕事で色々あって会社を辞めたいと思っても次の目的もないのであればプライド何て言ってないでその場に留まる努力をすればいいと思います。多分次には更にあなたのプライドを傷つけられる事しかないのですから。しんどくても今まで頑張ってきたんだからその事に誇りを持って、つまらない仕事だとしてもいつかはまた自分の思うようなことが出来ると思って今はその仕事や環境をなるべく楽しく出来るためにはどうしたら良いかを考えていくことが大事な事だと思います。ってまた違う方向に話が言っちゃいました。

とにかく、今回も色々良い話が聞けて、そして色んな人が来てくれて本当に感謝します。有り難うございました。そしてこれからも宜しく。皆で一緒に成長していきたいし、そして色んな人に「発達障害の人たちは大変だけど頑張っているよね」って思ってもらえるように、その為には皆1人1人が自分の事をしっかり見つめてもっと世間は広いと言う事を知って欲しいと思います。

まずは大きな声での挨拶と笑顔から始めてみる事をお薦めします(笑)

*1:私は無責任での発言はしていません。いつでも真剣ですよ