Nikon D300CM Korea カンボジア・アンコールワット編に想う
ニコンD300カンボジア編
単にジフニの姿が素敵という以上に私の心には込上げる感情がある。
私は自分が死ぬまでにどうしても行ってみたい場所がいくつかあって、そのいずれも私の好きな人たちが生きた足跡を訪ねる旅の場所でもあって、そのリストの中の1つが「アンコールワット」です。(他にはアンネフランクの足跡を辿る旅もしたいんですよ)
そのアンコールワットにジフニが新しいニコンのCMの撮影に行くという本当に私にとって不思議な縁を感じずにはいらなくてね…(でも決してこじつけじゃないと思いたいんですよ)
私は最近よく書く言葉があるよね〜
「すべての道はジフンイに続く」(笑)
私が好きな人、いろんな人や様々な事に対して気がつけばいつもジフニと何がしか繋がることが多々あるので最近よくこの言葉を書くことが多いけど…。
ジフニがアンコールワットでニコンのCMを撮影する35年前、ある1人の日本の戦場カメラマンが当時カンボジア内戦時下の中、アンコールワットに魅せられ、その姿を写真に収めようとし1973年11月忽然と姿を消しました。
一ノ瀬泰造(Ichinose Taizo)という26歳の若きカメラマンがいました。
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今ではカンボジアで内戦があったことは知っている人は多くても当時アンコールワットは近づくこともできない場所であったなんてことを知っている人はあまり多くないと思います。(泰造さんの事を知っている人は知っていてもそれ以外の人たちの多くはそんな事実すら知らないのが当然なのかな?)
色んなカメラマンたちがその場所に魅せられてもそこに行けば必ず捕まり命の保障があるかどうかなんてわからない事は知っていました。しかし泰造さんはそんな恐怖以上にアンコールワットを撮影することに魅せられました。(誰人も近付けないこの場所の写真を初めて収めたいという気持ちも強かったのです)そしてカンボジアに魅せられたのです。
カメラマンの彼は当然いろんなカメラを持って時に戦地(ベトナムその他)をそしてその中でも単に戦争の悲劇だけではなく、村の子供たち、兵士たち、その家族たち、時に売春婦の女性たちなど色んな写真を撮影しました。
彼のいろんな話の中で有名なカメラがあります。
ベトナムで従軍してる時に銃弾に当たったカメラ…
それはニコンのカメラでした。
泰造さんがいなくなってから彼のお父さんとお母さんが膨大なネガをひたすら現像して様々な写真が蘇りました。(彼がカメラマンになったのもご両親の影響が大きかったんだと思います)
そしてジフニが生まれる少し前、1982年2月に泰造さんの遺骨が発見されました。
当時、目撃していたカンボジアの人たちによって遺骨が見つかり彼に間違いないとわかりご両親が迎えに行きました。(本当なら彼は外国人だから殺されることはなかったはずなのに大切なカメラを奪われたことに対して返還要求をし、ハンストをした為にクメールルージュの怒りをかい殺されたという話です)
なんだか戦場カメラマンと聞けばとてもストイックで厳しい表情をしているようなイメージがありますが私がどうしてそこまで彼に惹かれたのかというのは彼がとても人間的だったこと(彼の日記が書籍として発行されていますし、映画にもなりました)。確かにストイックではありますが、とてもチャーミングで人間臭くて、決してかっこよくない容姿に驚いたのと、単に戦争の悲惨だだけではなく、その国を愛してそしてそこに暮らす人々の中に自ら入り心温まるような作品をたくさん撮っています。(それまで戦場カメラマンのイメージってロバート・キャパや日本では沢田教一さんなど容姿端麗でニヒルな人というイメージがあったんです…)
そんな私にとって思い入れのある場所で、いなくなった彼が再び家族の元に姿を現した同じ年にジフニが生まれそして今、泰造さんが恋い焦がれたアンコールワットでニコンのCMを撮影している、そして来年からユネスコが管理することになって観光や撮影に関して許可が厳しくなるかもしれないということにどうしても泰造さんの事を思わずにいられず、人一倍このCMに対して感慨深いものを感じる。
追伸:考えてみると「泰造(たいぞう)」スピードレーサーでジフニが演じるのは「テジョ」似た様な名前で本当にこじつけだったとしても摩訶不思議なものですね。