誰も守れない/誰も守ってくれない

土曜日に放送されていたスペシャル番組「誰も守れない」を録画していたものを見た。そのあとに映画「誰も守ってくれない」を見た。


映画の作品自体大まかに分かっていても登場人物などわからないこともあったりもしたし、まずはスペシャル番組からと思って録画したものを昨日見ることに…。


ドラマの方は映画の数か月前にさかのぼった数日間の出来事の話が中心で、勝浦刑事と三島刑事がある事件の被害者家族を保護する立場。


その被害者家族の1人が勝浦刑事の精神科クリニックの医師尾上令子だった。(ここで患者と医師の関係なのがわかる)

そして数日の間に色んな事が起き、そして事件が解決して数か月後、ドラマのエンディングと映画のファーストシーンがシンクロします。


今度は加害者家族の保護をすることになる勝浦刑事。
数日後には休暇を取って、自分の家族のきずなを修復するために旅行に行くはずだった。


物語は4日間を描いているだけです。
たった4日間だけれど、何処に逃げようとも逃げ切れない…


人間の欲望というのか、恐ろしいほどの好奇心。
自分が傷つくことに敏感で臆病なのに、それ以上に知りたいと思う欲望を今の社会、押さえることが出来ないでいる。


映画の中でもテレビ・新聞・雑誌各マスコミの追跡、そして自分の身近には心配を装って、メールや電話をしてくる友人たち。ネットでもあらゆる個人情報が飛び交って何処にかくれたとしても結局見つかってしまう。


そんなこと…と割り切っていても、自分が見なくても、聞きたくなくても、どこかの誰かが親切を装って誰かを苦しめる。


ストーリーが犯罪加害者家族を守るということだけれど、これは別には加害者家族が可哀想なのだとか本人に罪があったとしても家族には罪はないという事を言いたい作品ではないと私は思っています。もし、そういう見方をしてこの作品を見るとこの作品の本当に伝えたい本質を完全に見失ってしまうのではないかと思います。


人間、それぞれ色んな問題を抱え生きている弱い生き物で…
でも、どうしても人間というものは自分が抱えている問題を無視したり、他人に原因を責任転嫁したり、問題自体に向き合うことを避けてしまう…


この作品はその自分の抱えている苦しみや問題を、置かれている立場が違えども問題を抱えているという共通点で自分自身を見つめる大切さを教えてくれているように思います。


誰を信じ、何を信じるのか、それは自分から逃げずに、向き合った人間にしかわからない何かがあるんだと…。


自分自身を守れない人間は、結局、誰も守ることなんてできないし、誰にも守ってもらえないんじゃないかと。でも決してそれは自分1人では解決できないんだと。リアルに人とつながることも大切なんだと。自分で負えない傷(問題)は抱え込まずに誰かに助けを求めればいい、でもあくまでも自分が自分自身の恐怖と闘う勇気と意思と向き合わなければ意味がない話だが…。


人の心の移ろいに、自分も流れされていないか?振り回されていないか?
私は最後まで作品に引き込まれました。


誰かに裏切られたとしても、それが全てではない、必ず手を差し述べてくれる人もいるのだから…それも結局、自分自身がどうあるべきかなのだと…


それは多分「誰も守れない」というドラマを見たおかげかもしれない?(個人的にはこのスペシャルドラマを見てから映画を見てほしいなと思うんだけどね)


これを見ていると映画の劇中での勝浦と三島の会話の意味も、勝浦と尾上先生との繋がりも、より深く理解して見ることができました。


勝浦はあの後、家族と会う事が出来たのかな?
家族と素直に話をすることが出来たのかな…。
娘さんは箱が潰れちゃったけど、プレゼント喜んでくれたかな?


それぞれの役者さん達もそれぞれの立場をよく演じたと思うし、特に飄々とした松田龍平さんが演じた三島刑事のキャラクターは良かった。
べたべたした関係ではないけれど勝浦と三島の自虐的会話も本当にお互いを信頼しているからこそ話せる会話だったりするわけで…。年々良い味わいの演技をするようになってきたように思います。

リベラ「あなたがいるから」

誰も守ってくれない(OST)

誰も守ってくれない(OST)

祈り~あなたがいるから

祈り~あなたがいるから