自分がわからない人へお薦め

原因と結果の法則をコンパクトにした感


よく、ASやADHDと診断された人が言う言葉「普通の人みたいになりたい」って、そんな無駄な努力してどうし張るんでしょう?無理をして二次障害とかになるのもおかしい話しだし、ましてや自傷行為とかする事自体自分のやっている事が間違っていると言う事をもっと自覚しなければいけないと思うんだけど…。

ましてや自分が既に障害があると言う事をわかっているんだからなおさらの事だと思うんだけどね。普通と言う事に何を期待しているんだろう?普通でいる事がいい事だと思い込んでいる根拠が分からないんですけど…。

苦しいのであれば、カウンセリングとかを受けに行った方がいいと私は思うんだけどね。嫌なことも全部吐き出すことで少しずつ自分の置かれている過去や今の状況がわかるようになるし、そうなれば色んな問題の原因なども見えてくると私は思います。でもその為には自分をさらけ出さないといけないので確かに勇気はいるかもしれませんけど…。

上記のような人の書き込みを観る度にアンネの日記の一部*1を思い出します。

「光ほのかに」
1944年7月6日(木)から

ペーターばかりか、マルゴーからも、たびたびこういう台詞を聞かされます。「そうよ、もしもあんたくらい強い性格で、あんたくらい元気があったら、もしどんなときにも自分の望みを貫き通せたら、もしそれくらいの不屈のエネルギーがあったなら、そうすればわたしだって…!」

わたしは迷います。けっして他人に影響されないと言うのは、はたしてほんとにいい性質なんでしょうか。いつも性急に自分の良心を貫き通そうとするのは、ほんとにいいことなんでしょうか。ごく正直に言うと、「自分は弱い性格だ」と言いながら、それで平然としていられるのってわたしにはとても考えられません。それがわかってるんなら、なぜそれと闘おうとしないんでしょう?なぜその性格を鍛え直そうとしないんでしょう?

答えはこうです。「このままでいる方がずっと楽だから!」この答えには、少々失望せざるをえません。楽だから?ということは怠惰な、虚偽に満ちた生涯のほうが、楽な生き方だとでもいうんでしょうか。まさにそんなことがあるはずはありません。そんなことがあってはなりません。

人間がそんなにもたやすく誘惑されるなんて、安易さに…そして金銭にも。わたしは長いこと思案しました。
− 中略 −
わたしたちはみんな生きています。でもなぜ生きているのか、なんのために生きているのかは知りません。だれもが幸福になりたいという目的を持って生きています。生き方はそれぞれ違っていても、目的はみんな同じなんです。
マルゴー、ペーター、わたし、三人とも立派な環境で育てられました。三人とも学ぶ機会を与えられ、何かを成し遂げる可能性を与えられ、大きな幸福を期待するだけの根拠をもって生きてきました。

とはいえ…それは各自が自分の力で勝ち取らなくちゃなりません。そうしてそうすることは、けっしてたやすい事じゃないんです。もしも幸福を勝ち取ろうとするなら、勤勉に働き、正しい行いをし、怠けたり、ギャンブルにふけったりすることがあってはなりません。
怠惰は一見魅力的に見えますが、本当に満足を与えてくれるのは、働く事なのです。(アンネの日記―増補新訂版より抜粋)

私も昔から良く人に「あなたは強い」とよく言われましたが私は別に強くなんかない。「私はあなたみたいに自分の障害の事を言う事は出来ない」と言われたりもしますが、自傷行為をしたり、人や物に八つ当たりしたり人に責任転換する事をするくらいならダメもとで相手にぶつかっていけば良いと思うし、カッコつけたって仕方ないのにねと思う。(変なプライドがあるんだろうねきっと)

原因を見ないで結果ばかりを追求したがるなんて本末転倒だと思うんだけど…何だか今日の私は過激?

まぁそんなことはさて置き、最近気になる本があってね〜私には特に必要は無いんだけれど、上記の人々なんか読んでみればきっとこれから生きて行くためには参考になるんじゃないかなぁ〜と思っているんだけど(でも、そういう人間に限って自分の都合のいい事しか受け入れようとしなかったりするんだけどね)

「図解」本当の幸せをよぶ「心の法則」ノート
ジェームズ・アレン著 森川信子訳
ISBN:4872574443
この大元のシリーズ本「原因と結果の法則」シリーズは今、単行本は4巻くらいまで出ているみたいだけど、今回のこの本は文字が大きくてイラストとかもチョットあったりしてなかなかお手軽に読む事が出来るんだけど、わかりきった事やろうという気持ちをもタン化ければ意味無いんだけどね。

*1:私のHP内の「阿美的自言自語」にこれ以外も紹介しています