銭ゲバ1話予告編・ロングバージョン

30秒で収まり来てなかったか…ロングバージョンも作ってくれたみたいです(笑)

原作を読んだケンイチのファンの多くは原作の風太郎の最期があまりに救いようがなくて辛すぎるから、どうかドラマではケンイチに風太郎を救ってやってほしいと願っているんだよね。(無理だろうけど)


普通、役になるというけれど、彼の場合役になるというよりもその役に寄り添っているんです。どんな役に対しても単に演じるのではなく、その役に人間的な温かみを持たせたい、それがどんなに残忍な役だったとしても単純に残忍なだけではない、人間としての体温のようなものをひとかけらでも見つけて演じようとしています。


CUTのインタビューで演じつことについてこんな風に語っています


―撮影が終わると、そのキャラクターは松山さんの中で消えていく感覚が強いんですか?
「強いです。死んだって思います。その人生が終わったって思いますね。ただ残っているんですよ?残っているんですけど、このキャラクターとしての人生は終わったって思います」


―その感覚っていつ頃身に付いたんですか?
「…1年ぐらい前からかな"輪廻転生"って言う言葉があるじゃないですか。自分はそれを経験してるんじゃないかって、そんなふうに思ったことがありましたね。もしかしたら自分がめぐり合って来た作品って、全部ひとつのものを伝えるためにつながっているんじゃないかって思って。もちろん全然違う作品なんですけど。で、生きて死んで、生きて死んでを繰り返しているんじゃないかなと思って。そういうことを考えたりしますね」


―「役が死ぬ」ってう感覚をもっと聞くと、それは「いなくなる」っていう感覚とも違うわけですよね。
「うーん、そのキャラクターとしての感覚ってのがまったくなくなる。そいつとして見てた世界じゃなくなるというか。ずっと隣に―実際隣にいるわけないんですけど、隣にいるような感覚。ずっとこう、手を握っているというか、手が同化した感じっていうかなあ」


―なるほど
「で、ほんとうにひとりの人間として真中でブツッて切られて、もう僕自身でしかなくなる時に、キャラクターが死んだ感じがしますね」


―急に松山ケンイチの輪郭がはっきりしちゃう瞬間なんでしょうね。
「自分が何を感じて何を求めてるのかっていうのが一番に出てきますからね。その作品が終わったら」


―じゃあ、極端な話、作品をやっている間は、例えば自分が何を食べたい、どこに行きたいみたいな欲求がなくなっているわけですよね。
「だから、その作品が終わって休みになったら、何もしなくなるんですよ。寝てばかりになって。まあもちろん眠いから寝るんですけど(笑)」


―逆に言うと、役になっているときは、松山ケンイチとしては非常に不自由な状態ってことですよね?
「いや、自分はいいんですよ。なんでかというと、やっぱり自分は役にくっついている虫みたいなもんだから。例えば一緒にいてつながってて、足が2本あるより、4本あったほうが絶対安定するじゃないですか」

LやDMCなどの個性的なキャラクターをしたら大抵の場合、その役に付きまとわれることが多いのに、こういう考えがあるからなのか、過去の役に引き摺られることもなくどんどん、新しいキャラクターを演じ続けられるのかもしれません。松山ケンイチというイメージを植えるけるのではなくその作品の役のイメージを植え付けて松山ケンイチという人間はあまり有名になろうと努力してないですから(笑)(大抵松山ケンイチ「誰?」となり「デスノートの…」とか言うと「はいはい、わかった…でも実際どんな顔だっけ?」という人が断然多い(最近は随分認知度がUPしてきてるようだけど)


さて、先週1話の編集が終わったって、撮影大丈夫なんだろうか?ということが心配だけど、とても楽しみにしてるズラ(笑)